麗界記録

音楽などについて綴ります……†

群馬バンド「麗音」ノ追憶

おはようございます

昨年、群馬のインディーズヴィジュアルシーンを支えてくれているおはるさんが厄介な病気を患っているという情報を知って、わたしが群馬にいた頃の思い出を綴りたくてしょうがなくなったので、わたしの中で最も大好きな麗音という群馬バンドについての巨大感情を吐き出したいと思います。色んな思いが詰まったこの1月7日に。麗しい音と書いて「れいん」と読みます。わたしは麗音の中でも文有希 (ふみゆき) さんが一番好きなので、文有希さんについての記述が多いです。麗音後期からの新参ファンだし、麗音のファンの中でもたぶん年齢がワースト5に入るくらいの幼い人間だし、さすがに20年近く前のことなので抜けている部分も多いですが、麗音というバンドを思い出したい方や知ってみたい方は読んでみるといいかもしれません。

書きたいことをとにかく色々書いてたら2万5千文字を超える長い記事になってしまったので暇な時にどうぞ、ごゆるりと。

それから麗音はわたしの人生のほとんどなので自分語りも多いです。そういうのが苦手な方はそっと閉じてください。

あと他のバンドのファンの方にも楽しんでいただけるように他のバンドについても少し言及しています。

正直に言うと追憶 (きずぐち) を抉るのはかなり痛いですが、でも麗音のこと書いてくれる人もう誰もいないから書きます……。

1999年以前の群馬のインディーズヴィジュアルシーン

群馬といえばBUCK-TICKが有名ですね。BUCK-TICK好きです!でもBUCK-TICKがインディーズの頃はわたしが産まれる前のことなのでわかりません……。

それからだいぶ時は飛んで、何かでCRESCENTのフライヤーか何かを見て「群馬にもヴィジュアル系バンドいるんだ」と知りました。ただ、この時は情報が少なすぎたのとメジャーなバンドにハマってたので足を運ぶことはありませんでした……。(後悔)

あとは霧美咲というバンドを雑誌か何かで見かけた気がします。(かなり曖昧)

それでこの記事の主題となる麗音はというと、1995年11月に結成しました。

1999年~2000年の群馬のインディーズヴィジュアルシーン

当時もメジャーなバンドにハマっていて、その当時の群馬バンドの状況について詳しく知らないのでさらっと書きます。

群馬革命のフライヤー
まず真っ先に書かないといけないのは1999年11月22日 (月) の「群馬革命」というLIVE。CRESCENT、麗音、méffistといった群馬の3バンドが目黒鹿鳴館で観れる!それも無料で!しかもデモテープ無料配布!ということで動員は270余人だそうです。当時の麗音のベースは伸さんが弾いてました。ただ、この日にCRESCENTの解散発表が行われたようです……。

その翌年2000年1月7日、CRESCENTは前橋RATTANで "LAST ONEMAN LIVE" を行ったそうです……。

その後、CRESCENTの龍夜さんとKenさん (後のMERRYの健一さん) がSyndromeに、CHANAさん (後の愚裸魅會のCHANAさん) はVice†riskに、HIROKAZUさんが麗音に、綾音さんはLaissez Faireに加入しました。

2000年5月7日に前橋RATTANでméffist SHIN 企画「BIRTH DAY LEVEL.1」というLIVEが開催されました。出演バンドは、méffist、TANATOS、LAWINE、Chillkey Labemds、麗音という全て群馬バンドのLIVEです。この日の重大告知とは「LAWINEの真輝さんとSHINGOさんが脱退して、méffistに加入すること」だそうです……。この日の公演のアンケートに答えると出演バンドのオムニバスビデオテープが貰えたみたいです。

わたしと麗音との出会い

2000年当時のV系インディーズシーンはMatina、Soleil、KEY PARTY辺りのバンドがかなり盛り上がってました。その流れでわたしもMatinaのバンドを聴き始めて、Matinaから出たCRESCENTの「メビウス」というデモテープを聴いて、CRESCENTすごくいいな、特に「after」、群馬にいたのにLIVE行けなくて残念だなって思いました。

その後Syndromeの1st マキシシングル「涙ノ下弦…」のトークイベント目当てで池袋のBrand XというCD屋に行きました。そこには麗音のフライヤーがありました。

絹の糸と蜘の意図のフライヤー

これです。何やら今も群馬にかっこいいバンドがいるな!?と思い、さっそく電話して8月28日の麗音主催イベント「麗界呪縛」のチケットを予約しました。

その間、麗音の曲何一つ知らないから、とりあえず群馬バンドってことでCRESCENTの「メビウス」を聴きまくってました。

2000年8月28日 (月) 麗界呪縛 ~レイカイジュバク~ 前橋clubFLEEZ

中学校の夏休みがそろそろ終わる感じの中、前橋clubFLEEZに行きました。ライブハウスに行くのが初めてだったので、行く前はめちゃくちゃ緊張しました。それでもなんとか階段を登って入りました。前橋clubFLEEZはやたらとZIMAというお酒を推していましたが、中学生でお酒飲めなかったので普通にソフトドリンクを頼みました。

開演後はD'espairsRay (後に海外展開したバンド)、De-Ark (Delta Ark)、Crecien de Rona (LA VALLIÉREのMASUOさんがいたバンド)、S'aLateal (栃木のバンド)、Celestiaといったバンドが演奏しました。(出演順は忘れました)

そしてトリに出てきたのが麗音!

麗界呪縛

幕が開けるとともにステージに蜘蛛の巣のように張り巡らされた縄越しでの登場です。

"麗界へようこそ" されてしまいました。

衣装はデモテープ「絹の絲と蜘の意図」のジャケット写真と同じのを着ていました。

「絹の絲と蜘の意図」の振り付けが楽しかったです。特にイントロとアウトロ!

「less」は切ない感じの曲でした。たしかイントロのところでステージが青い照明で照らされてて曲の雰囲気とマッチしてていいなーと思いました。

「行」のイントロは最初「え?何?」ってびっくりしました。この曲は"壱の罪" "弐の罪" "参の罪" "肆の罪" と一つずつ歌詞がインクリメントしていくのですが、それに合わせて文有希さんが指を一つずつ上げていくパフォーマンスが良かったです。

最後は「浮生麗終」という暴れる感じの曲で締めました。

LIVEが終わる頃にはすっかり麗音に心を奪われてしまいました。麗音の隸 (しもべ) になってしまいました。当然公演終了即デモテープ買いました。写真も少しだけ買いました。他にも欲しいのあったけど、中学生でお金がなかったのでこれが限界でした。

家 (前橋から結構遠い; ぶっちゃけると健一さんの実家の近く) に着いてもLIVEの興奮が冷めやらず、帰宅即デモテープをMDにダビングという当時のバンギャの仕草をしました。何回もMDコンポで「絹の絲と蜘の意図」と「行」を繰り返し再生しまくりました。深夜2時になってもずっと聴いてて、母から心配されました。(特に「行」のあのイントロ)

2000年9月9日 (土) 前橋clubFLEEZ

中学生でお金がなかったので遠征出来ず、麗界呪縛から次に群馬でLIVEやるまで悶々としていました。たったの12日間なのに、とても待ち遠しかったです。

Laypua、ELY-SIA、妃阿甦 (THE PIASS) 、méffist、麗音のLIVEです。

麗音の文有希さんは全身真っ白な衣装、瞬時さんは黒い衣装を着ていました。

曲目は麗界呪縛からlessを引いた感じでした。機材トラブルか何かでMCが長かったことを覚えています。この日から文有希さんはMC中にぐるぐる回りながら喋る人だと気付きました。

méffistと妃阿甦とで交流があるのを知れたのもなんか楽しかったです。

2000年10月13日 (金) 麗音主催 隷~しもべ~ 前橋clubFLEEZ

この日は麗音のサイン入りポスターが無料配布されました。

チケットの半券探したけど、このLIVEだけなぜか見つかりませんでした……。

CLEAR MIND、ChrySalis、Chateau La tour、ギロチン、美流沙女、麗音が出演しました。

Chateau La tourの「Smile」でyu-ga (優雅) さんがかなり激しく煽ってきて、客を柵から超えさせるどころか、なんとステージに上がって来させるくらい煽ってました。最終的にステージ上がChateau La tourのメンバーと土下座ヘドバンするバンギャで埋め尽くされるという異様な光景になってました。その中にはわたしも……笑 これがわたしにとって最初で最後の前橋clubFLEEZのステージに上がった瞬間です。(なぜならclubFLEEZは後に高崎に移転したからです)

麗音はトリで出てきて「妖艶」から演奏開始しました。デモテープしか聴いたことのない人は知らないかもしれませんが、この曲はイントロでひたすら煽りまくる曲です。わたしはこのとき初めて妖艶を聴いたので「これ楽しいけどいつになったら歌が始まるの?」ってちょっと思ったけどやっぱり良かった!

新曲として披露された「eternal season」はあまりに悲しい歌詞でした。

この日のLIVEが終わるころには、配布されたポスターがぐちゃぐちゃになっていました。ポスター配布のLIVEに行くときは、ポスターケースを持っていくことをおすすめ致します。 ポスターケースは段ボールを三角形に折り曲げた簡易なものでOKです。

ちなみにこの日にSONYのテープレコーダー (以降はテレコと略します) で録音したカセットテープは引っ越しの際に紛失してしまいました……。群馬の実家に帰って探しても見つかりませんでした……。

LIVEの翌日は首が痛かったです。盛り上がりすぎた😅

2000年11月14日 (火) méffist主催 BIRTH DAY SPECIAL 前橋clubFLEEZ

出演バンドはméffist、Syndrome、Mëbius (AZALEAの真稀さんがいたバンド)、Madeth gray'll、∀nti Feminism、麗音です。Matina所属バンドが多かった日です。

正直に言いますと、この日のLIVEについて麗音のファンサイトではさも自分が行ったかのように書いていますが、実はわたしは行けませんでした……。なので、代わりに行ってくる姉に記録するよう託しました。

"この日も全員、特攻服で登場。まさか「行」を1曲目に持ってくるとは思わなかった!あとMCで12月に出る2ndデモテープの宣伝してました。" そうです。Matinaバンド目当てで来て初めて麗音を見た人は、いきなり「行」を聴かされてどういう反応をしたのか気になりますね。

この日に配られたフライヤーで2000年12月5日に麗音とméffistのツーマン公演 (重大発表あり) の告知がありました。

Syndromeは「蘇生」、「衒学主義者の自称」、「deep sky」、「×××[tuː]Vogue」、「兎と羊」、「疼ク喉」を演奏したそうです。

Madeth gray'llは「「Zwei」堕胎者ト盲目ナ中絶児・・69日目ノ阻害」、「劇薬」、「螺旋遊戯」、「狂死曲」、「「M」的被虐症候群」、「空中都市〜in the zalemu〜」、「廃人狂イ人形」を演奏したそうです。

2000年12月5日 (火) 麗音 VS méffist 「絆~きずな~」 前橋clubFLEEZ

この日は麗音のサイン入り生写真が配布されました。

開場後、入り口でフライヤーと共に配布された前橋clubFLEEZのスケジュール表をさっそく確認してみると「来年の1月7日についに麗音がワンマン公演を行う」ことが分かりました。重大発表とはこれのことなのかなと思いました。(伏線)

この日は麗音の新しいデモテープが出るので、さっそく物販のところに行って「麗音の新譜ください」みたいなことを言ったら「終演後に販売します」みたいに返されて「え?」と思いました。(伏線)

オープニングアクトとして蜘蛛が出演しました。麗音のCREWの狂架さん、méffistのCREWの佳樹さん、HIROKAZUさんの前に麗音でベースを弾いていた伸さんによるバンドです。ドラムはいませんでした。たしか2曲くらい演奏したと思います。激しい感じの曲で会場が暖まりました。

次に出てきたのがméffistです。「BIRTH」と「Darling」と「Best Smile」を演った記憶は残っています。他の曲は残念ながら覚えていません。「Darling」の時のSHINさんがかなり煽ってて、後ろの方で観ている客にも煽ってました。これはノらずにはいられない!

途中のMCで2001年のLIVEを最後にSHINさんとSHINGOさんがméffistから脱退することが告げられました……。

そして麗音です。ステージに蜘蛛の巣のような縄を張った状態で登場しました。文有希さんの衣装は軍服っぽい感じでした。

演奏した曲は「絹の絲と蜘の意図」、「su.i.cide」、「隷」、「eternal season」「行」「浮生麗終」といったこの頃の麗音の定番の構成でした。

そこまでは楽しかったのですが、その後のMCで「2001年1月7日に前橋clubFLEEZで麗音初のワンマン公演を行う事と、そのワンマン公演を最後に麗音が解散するという事」を告げられました……。ファンの方々がみんな泣いていて、泣き崩れている方もいました。げほげほと慟哭する方もいました。わたしはなんとか涙を堪えました。

そんな中、次に演奏された曲は「less」です。この時の演奏はYouTubeにアップロードしましたが、途中で演奏が止まった瞬間のファンの泣き声を聴くのがつらいのでYouTube版ではそこをカットしています。曲が終わった後に文有希さんが「どうもありがとう!」とマイクを使わずに叫ぶ姿も胸に染みました。

そのあとまたméffistが出てきて "いくつもの旅の途中 君がいたから僕は乗り越えられたんだ" みたいな感じのポジティブな歌詞の「Tomorrow」 (で合ってますか?) という曲を演奏しました。

そしてアンコールでは、Vocal:文有希 (麗音)、Guitar:真揮 (méffist)、Bass:HIROKAZU (麗音)、Drams:SHINGO (méffist) といったメンバーで、LAWINEの「LUST [TYPE M]」を演奏しました。文有希さんはサンタの格好をしていました。この曲の途中でテレコのカセットテープが切れてしまったのを後悔してます。120分のテープで録音すればよかったな……。

最後のアンコールでは、この日参加したバンド (麗音、méffist、蜘蛛) 総出演でCRESCENTの「ask・・・」を演奏しました。重大発表の悲しさを忘れるくらい盛り上がってました。

公演終了後に麗音の物販に「Final demo tape 『~永遠~』」というジャケットのデモテープが並んでいました。「なるほど。"Final" と書かれているから公演前に販売しなかったんだ」と配慮を感じました。

LIVEが終わって帰宅して速攻でMDにダビングしながら麗音のデモテープ「永遠」を聴いていたら、「eternal season」の歌詞が胸に突き刺さりました……。悲しすぎる……。

2000年12月26日 (火) 麗音 VS S'aLateal 「アソコを黒で埋め尽くせ」 神楽坂DIMENSION

麗音が解散する前になるべくLIVE行かなきゃ!と思って行ったLIVEです。LIVEのタイトルが "アソコを黒で埋め尽くせ" なので全身真っ黒にしなきゃと思い、黒いニットの服を着たのですが風が強くて寒かったです。

たしか最初に出てきたのが麗音です。この日も全員、白い特攻服で登場しました。(黒服限定GIGであえて白い衣装で登場したバンド!?) 来月に解散する事をあまり感じさせない良いLIVEでした。と言いたいところですが、「eternal season」で少し泣きそうになりました……。

その次に出てきたのが栃木のS'aLatealです。曲名は忘れましたが "eins zwei drei vier"って歌う曲が楽しかったです。

Sa'Latealの演奏終了後に会場がざわめきました。これは何かあるな?と思ったらシークレットゲストとして、なんとCRESCENTが出てきました。ドラムは初代ドラムのJunさんでした。

「Virus」「白と黒」「after」などを演奏しました。デモテープ版と全然違うかなり大胆なアレンジだったことを記憶しています。(後に発売される「to SILENCE」収録曲みたいな雰囲気のアレンジ)

終演後、Kenさんが投げた何も書かれていない真っ黒なピックを拾いました。これも宝物です。

2000年12月30日 "世紀末COUNTDOWN LIVE SPECIAL!" ~Second Impact! 2000→2001~ 前橋clubFLEEZ

この日は行けなかったので、友達から聞いた情報だけ書きます。

この日の麗音は12月31日午前2時頃に登場して、文有希さんが群馬の女子校 (たぶん群馬県立伊勢崎女子高等学校) の制服着てて、瞬時さんはチャイナ服着てて、HIROKAZUさんは慎吾ママ (香取慎吾) のコスプレをしてたそうです。

それ以上のことはわかりません。観たかったな……。

2001年1月7日 (日) 麗音解散ワンマンLIVE「永遠~えいえん~」

この日の空はどんよりとした暗い雲に包まれていて、空がとても低く感じました。

「また麗音を観たいけど、この日が来たらもう観られなくなってしまう」という複雑な感情を抱きながら、前橋clubFLEEZへ行きました。

−−第壱幕−−

―SE―
1.less
2.Ga.ラ.ku.タ.ba.コ
3.su.i.cide
4.光の影
5.進化の瞬間
―SE―
6.レプリカ

−−第弐幕−−

―SE―
Drums solo. Bass&Drums JAM.
1.隷-しもべ-
―SE―
2.「行」
3.浮生麗終

−−第参幕−−

―SE―
1.絹の絲と蜘の意図 (GJAMver.)
―MC―
2.eternalseason
3.華
―MC―
4.絹の絲と蜘の意図

−−アンコール−−

―SE―
―MC―
1.RAIN〜麗しい音〜
2.妖艶

...本編終幕...
抽選会-フルメンバーMC-

LASTSONG―「less」

...終幕..永遠...

LIVEの一曲目は「less」でした。みんな飛び跳ねながらノッてて楽しい感じの「less」です。

このLIVEはかなり長かったです。全18曲 (Drums soloとBass&Drums JAM含む) とMCと抽選会とSE。それに加えて衣装チェンジ等の待ち時間があるので、開演から公演終了まで合計3~4時間はかかったと思います。新参ファンなので「知らない曲多いな」と当時は思いましたが、今振り返ってみると「麗音ならこの曲は欠かせない」といったツボを押さえたセットリストだと思います。

はるばる神奈川県から来たファンの方が、終電のために悔しそうに途中で帰っていったのを覚えています。

待ち時間にロリィタかなんか忘れたけど可愛らしい服を着た方とお話をしてみたら、中学生低学年でわたしと年齢同じで少し嬉しい気分になりました。

待ち時間中はずっとデモテープ「永遠」の曲がリピートされていました。

麗音の最後は「less」で締めくくられました。最後は切ない感じの「less」でした。「less」は同じ曲なのに色んな表情を見せてくれる素敵な曲だと感じました。

公演終了後、外に出てみると雪がぽつぽつと降っていました。

そして太公望という居酒屋で行われた打ち上げに参加しました。あいにく麗音が本命でない方々とテーブルの席が一緒になってしまって、全然麗音のこと話せませんでした。

打ち上げがそろそろ終わる頃に友達から「せっかくだから文有希さんと話しなよ」と言われて、なんとか勇気をだして写真を1枚撮らさせていただきました。正直言うとめちゃくちゃ緊張しました。これまでバンドやってる方と直接話すことなかったし、それに10歳以上年上の方だし、何より文有希さんだし。まさかこの時が文有希さんをカメラで撮る最後のチャンスになるとは思いもよりませんでした。この写真は、すっぴんだし酔っ払ってるから文有希さんにとっては不本意だと思うけど、わたしにとっては一生の宝物です。

打ち上げが終わると、外の雪は激しくなっていました。とにかく寒かったです。それで前橋市内を歩き回ってなんとか雨宿りならぬ雪宿りして、凍えて震えながら始発の電車を待ちました。電車に乗って太田駅で降りると、駅前の気温表示計は0℃だかマイナス値だかかなり低かったです。家についてさっそくお風呂に入って温まった後にずーっとぼーっとしてました。

麗音が解散してからの2001年上半期 (自分語り)

麗音が解散してからしばらくヴィジュアル系の音楽を聴く気になりませんでした。せめて麗音とゆかりのあるméffistの活動休止LIVEにも参加しようとも思いましたが、中学校のスキー教室合宿と日程が被っていて参加出来ませんでした……。

そして「麗音が終わっても次のバンドに乗り換えられるだろう」という根拠のない期待を持ちながら、他のバンドの目黒鹿鳴館公演 (麗音解散発表前にチケット買いました) に行ってみたものの、周りがヘドバンしたり盛り上がってる中、わたしはずっと棒立ちでした。どうしても麗音と比べてしまって全然楽しく感じませんでした。音楽が「音が苦」に感じてしまったのです……。この「麗音と比較してしまう病」が治るまで数年かかりました。まさに "麗界呪縛" です。麗音の絲が雁字搦めに絡みついてなかなか解けませんでした。

その時に気づいてしまったんです。「自分の居場所がなくなった……」と。それからは、ただただ麗音をもう一度観たいと切実に願うばかりの日々でした。「完全に復活しなくてもいいから、せめてもう一夜だけでも……」と。

あとこの辺の時期は他にもLUNA SEAやMadeth gray'llやVice†riskやChateau La tourなど色々なバンドが終幕/解散/活動休止してかなりテンション下がりました。

そんなわけでヴィジュアル系以外の音楽を聴いてみようとNUMBER GIRLのSAPPUKEIとかシブヤROCK TRANSFORMED状態を聴いたり、THE STALINのSTOP JAPや虫を聴いてみたり、はたまたレゲエ (ボブ・マーリー) やHIPHOPを聴いてみたり、さらにトランスなどのクラブ音楽を聴いてみたりとかなり模索しました。中でもTHE STALINはすごく気に入ったのですが、時は遅し、既に解散していました……。

2001年上半期

そうした状況の中、解散したVice†riskのCHANAさんと文有希さんがバンドをやるかも?みたいな噂を糧になんとか生きてました。それと十夢さんがなんかのバンドやるみたいな噂もありました。あとは蜘蛛のLIVEに行くと瞬時さんと十夢さんに会えるらしいという噂も聞きました。

そして2001年5月3日前橋RATTANで「アナルヴァギナ」 (HIROKAZUさんがいたそうです) と美章さんのセッションバンド「求人ジャーナル」がLIVEを演ったそうです。瞬時さんと十夢さんも来てたそうです。文有希さんはいなかったっぽい……。

2001年6月13日に目黒のライブハウスでkc+loid (Ruelliaのメンバーを中心に構成されたバンド) というバンドのサポートとして十夢さんがドラムを叩いていたそうです。それと8月か9月くらいに瞬時さんと美章さんと十夢さんでセッションバンドするらしいという情報を得ました。

2001年8月8日 (水) 巣 ~我幕の領域 (テリトリー) ~

ある日突然前橋clubFLEEZから葉書が送られてきました。群馬バンドが総出でセッションバンド大会を行うようです。文有希さんはいなかったけど、とりあえず行ってみようと思いました。噂で「文有希さんはもうバンドやらない」と聞いていましたが、それでも行ってみようと思いました。

当日は晴天で、なんだか空が高く感じて、めちゃくちゃ気温が高い日だったことを記憶しています。

瞬時さん大好きな友達と会いたくて早めに前橋clubFLEEZに行きました。

麗音が解散してから初めて見た瞬時さんと美章さんは髪が短くなってました。

黒夢の「CHANDLER」を演奏したバンドがいて、なかなかいい選曲だなと思いました。

どのセッションかは忘れましたがD'ERLANGERの「LA VIE EN ROSE」を初めて聴いて「初見でもすごくテンション上がる良い曲だなあ」と思いました。(実は小学生の時にD'ERLANGERのライブビデオをレンタルしたことあるので初めてではなかった……💧)

あと当時のアイドル界隈ではハロー!プロジェクトが流行っていて、ミニモニ。の曲を流しながら登場するバンドもいました。

それ以外は残念ながら覚えていません。

LIVE後はおはるさんでおなじみの楽屋という居酒屋にて開催される打ち上げに参加しました。トイレかどこかの壁に「群馬革命」のポスターが貼ってあったのが嬉しかったです。あとほんの挨拶程度だけどおはるさんに声をかけました。それで打ち上げはどうだったかというと、残念ながら麗音じゃないバンドのファンの方との席に座ってしまったので麗音の話は全然出来ませんでした。そして打ち上げ後の朝焼けがやたらと眩しく感じました。

その後アナルヴァギナが活動休止になって「何かが復活したりしないかな?それともただ単に休止しただけなのかな?」と思いながら、ただ麗音再結成を待ち望んでいました。

冬威

2001年下半期ごろから帝さん (柘榴)、美章さん (麗音)、瞬時さん (麗音)、静流さん (柘榴)、十夢さん (麗音) といった麗音と柘榴のメンバーによって構成された冬威 (とうい) というバンドが出てきました。わたしも何回かLIVEに行きました。今なら楽しめると思いますが、当時は「麗音と比較してしまう病」が重症で残念ながらハマりませんでした……。何回も観たはずなのに冬威のことは全然思い出せません……。(決して冬威に非があるのではなく、わたし自身の問題です)

2002年4月28日 (日) 楽屋ライブ YONA SEA 前橋RATTAN

2002年の2~3月くらいでしょうか、前橋RATTANの楽屋LIVEで文有希さんがYONA SEAというLUNA SEAのコピバンをやるという情報を得ました。文有希さんに会うのが久しぶりすぎて、カメラもテレコも持っていくのを忘れてしまいました……。(これはかなり後悔しています)

ガゼットはMCで「別れ道」というシングルの宣伝をしていたことを覚えています。

さてYONA SEAについてですが、文有希さんは特攻服を着ていました。どの曲が演奏されたのかというと、初期LUNA SEAの曲でした。「SLAVE」を演ったことだけは確実に記憶しています。最後は「WISH」か「PRECIOUS...」のどっちかを演りました。それ以上は残念ながら思い出せません……。

この時はまさかYONA SEAが文有希さん生涯最後のステージになるとは思いもよりませんでした……。

2002年 夏

冬威のファンの間で乖離?があったみたいで、ついに瞬時さん大好きな友達が地獄のように感じてしまって悩みに悩んで悩みを重ねた結果脱落してしまいました……。

夜のお仕事

これは書いていいことなのかわかりませんが、とりあえず「怒られたら消す」というスタンスで記録します。

2002年の秋頃に、文有希さんが前橋だったと思いますが「Blue Moon」というPENICILLINのメジャーデビュー曲みたいな名前のホストクラブで働いているという情報を得ました。さっそくチャリを漕いで本屋に行き、「すたんぴーど」という情報誌を立ち読みしました。文有希さんいました。楓という源氏名でした。"カエルじゃないよ楓だよ" とか文有希さんっぽいユーモアのある自己紹介ページでした。でもさすがに中学生がホスクラ行くのは色々と無理があるので、そっと本を閉じて買わずにそのまま帰宅しました。なんだか文有希さんはもうバンドやらなそうな感じがしました。ついでに "2002年12月5日に文有希さんらしき人が前橋RATTAN方面から毛皮のコートを着て歩いていて前橋clubFLEEZの方をチラチラ見ていた" という目撃情報を得ました。

あと、この頃には麗音のファンの方々ほとんどみんなあがっちゃったみたいです……。

2002年12月26日 前橋RATTAN

この日は "CRESCENTが限定復活した日" という記録と "LAWINEが限定復活して瞬時さんも出る" という記録が残っています。多分どっちか間違ってると思います。この日のチケットの半券持ってるってことは、わたしも確実に行ったはずなんですけど、記憶がかなり曖昧です……。多分その後の出来事が衝撃的過ぎたのだと思います……。申し訳ないです……。

現実逃避 (自分語り)

2002年の冬あたりから、わたしも文有希さんから麗音から逃げてしまいました。すっごいメンタル弱っちいくそザコ人間なので。プレステの狂ったみたいなイカれたゲームを延々と遊んで現実逃避してました。

永遠の離別

2003年の4月上旬、突然姉が2ちゃんねる掲示板で「文有希さんが死んだ」と投稿されているのを見たと報告してきました。悪い冗談であってほしいけど、そんな冗談はさすがに悪趣味すぎるので多分本当なんだろうなとなんとなく思いました。

インターネットではGarnetというバンドをやっていた刹那さん (Luna de mielというバンドもやっていました) の日記サイトにもその旨が掲載されていました。

こんなトコに書くことじゃないかもしれないけど
先日群馬バンドのex麗音のボーカルさんが亡くなった知らせを聞いた。
僕は数回会った程度だけどなんか悲しかった(;_;)
この場を借りて…ありがとう、そして安らかにお眠りください。

from: http://ip.tosp.co.jp/i.asp?i=setunakun (現在は見られません)

それでも信じきれなくて、瞬時さん大好きな友達に手紙を送りました。友達からは "友達に文有希さんと親しい関係の方と連絡を取ってもらったら、本当らしい" という旨の返信が着ました。

そしてその数日後に前橋clubFLEEZから送られてきたダイレクトメールにて正式に訃報が報じられました。

2003年5月8日 (木) ~「文有希」追悼LIVE~ "FROM SILENCE" 静寂の中から…

カレンダーには大安と書いてありました。

この日が来てほしくない気持ちでいっぱいでしたが、なんとか前橋clubFLEEZに行きました。友達も来てたはずですが、全く話せませんでした。突然の出来事過ぎて頭が追いついていかなかったので……。

フロアには明らかにヴィジュアル系のファンっぽくないスーツを着たホストっぽい感じのお兄さんがいました。文有希さんが務めていた夜の仕事関係の方でしょうか?もしそうだとしたらちゃんと慕われてたんだなって少し喜びます。

この日CRESCENTのKenさんはメリーのツアー中のため出演出来ませんでした。その代わり電報でのメッセージがありました。CRESCENTは切ない感じのバラード曲を演った後のMCで龍夜さんが "悲しすぎるね……。選曲ミスったかな……。" みたいなことを言っていたのを覚えています。

肝心の麗音についてですが、なんか聴いたことのないようなレアな曲を演ったような?ごめんなさい!全然覚えていません……。

この日のために急いで頑張って練習してきたバンドの皆様に対して大変失礼ではありますが、正直に言いますと、この日はわたしにとって轟音が鳴り響いてるお通夜って感じで後ろに飾ってある文有希さんの遺影を茫然自失としながら観てて、気がついたら終わってました。機械のように心が無の、ただの肉の塊になってました。

MCで佳樹さんが "文有希が死んだら佳樹が麗音の「less」を演る、佳樹が死んだら文有希が蜘蛛の「forever」を演る" みたいな約束をしていたことを語っていました。文有希さんと佳樹さんとの間にある深い信頼を感じました。あとは出演したバンドの方と会場にいた観客の記念撮影が行われました。この写真は、後に発売される文有希トリビュートアルバム 「to SILENCE」のブックレットで見ることが出来ます。

公演終了後に文有希さんへのお別れ会がありましたが、文有希さんが死んだという事実をどうしても頭が受け入れてくれなくて、行かないで逃げてしまいました。やっぱりわたしはどこまでいっても中途半端で弱い人間だ。何もしたくなくてとりあえずカラオケ屋に行って何も歌わずに閉店までずーっと横になってました。カラオケ屋から追い出されたら、外の適当なベンチに座って無心のまま空をずっと眺めて始発の電車を待っていました。

2003年8月22日 文有希トリビュートアルバム 「to SILENCE」

たしか発売日は文有希さんの誕生日です。このCDが発売されることはわかっていたものの、どこで買えるのか分からなくてとりあえず前橋clubFLEEZに電話したらそこで買えるみたいなので、前橋の高校の帰りに買いました。なんかフリーズのスタッフは髪の毛の色が派手な女性だったかな。ちなみになんで夏休みに高校に行ってたかというと、数学で赤点を取って補習を受けてたからです……。

CDを再生する時は楽しみだったけど、めちゃくちゃ緊張しました。

CDには麗音のSEとméffist、CRESCENT、蜘蛛といった群馬バンドが、麗音の曲をそのバンドらしさを出しつつちゃんと麗音へのリスペクトをこめて演奏した曲が収録されていました。

そして最後のトラックには麗音がラストLIVEで披露した麗音最後の新曲「RAIN」~麗しい音~ が収録されていました。文有希さんパートは蜘蛛の佳樹さんが歌っていました。もう15年以上経ったので今更ネタバレにもなりませんが、「RAIN」~麗しい音~ が終わった後に無音がしばらく続きます。無音の後に2001年1月7日の麗音ワンマンLIVEの「eternal season」のサビの部分が収録されています。わたしの声も何dbかわからないけどほんの少し混じってると思います。この演出にちょっと泣きそうになりました。

歌詞カードには、演奏者がそれぞれ文有希さんについてのコメントしていて、しんみりとしました。

ここで文有希のバンギャとしてのわたしの現役は終わりました……。

余生 (自分語り)

勝手に麗音の広報者になった

文有希さんの追悼LIVEを終えてから「自分に何か出来ないか」ってずっっっと色々考えてました。考えて考えて考えて……。しょぼいけど、たまたまわたしはウェブサイトを作ることが出来たので、とりあえず麗音の記録を残そうと思い、麗音のファンサイトを作りました。(限界バンギャの暴走) わたしは麗音後期からの新参ファンなので知らないことが多くて最初はとにかくしょぼかったけど、色々な方から情報とかをいただいて今は少し充実してきました。相変わらずデザインのセンスはないけど。今のURLは https://rain-band.github.io/ です。ちなみにトップページの画像は、2000年当時麗音のヘアメイクを担当していた方のサイトから持ってきました。URL忘れちゃったので、ヘアメイクさんのサイトもう見ることが出来ませんが……。

あとは恋愛する度に相手に麗音の曲を入れたMD渡したり、パソコンで再生したりして無理矢理聴かせました。 (限界バンギャの暴走)

麗音の遺伝子を受け継いだ音楽をやりたい

麗音が解散した後、「麗音がいないなら、こうなったら自分で音楽を作ろう」と思いました。(限界バンギャの暴走)

でも家にあるのは祖父のクラシックギターしかなくて「これじゃロック出来ないな」と思って、ヤフオクで3,000円くらいで売られていたアームが付いててハムバッカーなピックアップが2つ付いてるよくわからないメーカーのベージュ色の謎のエレキギターを買いました。それと、同じ中学だった友達にチューナーとBarclayってメーカーのボリュームとトーンしかノブがなくてドライブスイッチが付いてるだけのすごいしょぼい小型アンプのお下がりを貰いました。このアンプが本当にチープで何をどう頑張っても汚い音しか出なかったです。麗音の楽譜なんてもちろんないから、「まずはYONA SEAから」と思ってLUNA SEAのインディーズアルバムのバンドスコアをとりあえず買いました。だけど全然弾けなくてあっさり諦めてしまいました……。今思えば、「アンプから出る音が何もかもだめなので、すぐ飽きても仕方がなかったのかな」と思います……。ギター始めたい人、アンプめちゃ大事ですよ…!最低でも新品1万円以上のものを買いましょう!

「ギターがだめなら歌か?」と思って近所の高校の軽音部の子とミスドで軽く話をした後カラオケ屋に行きました。その日はADHDで過集中して寝坊して必死でチャリ漕いだせいか全然声出なかったこともあって「ボーカル向いてないんじゃないの?」と言われ、またしてもあっさりと諦めました。

そして数年後、大学に入ってからまたギターやりたいなって思って、瞬時さんみたいな青いギター買ってみたものの、大学の軽音サークルがなんかトラブル起こしてて活動禁止処分中で入れなかったので文芸部に入ってしまいました。文芸部では暗い感じの絵と小説を創作してました。結局ギター全然弾かずにいつの間にか諦めました……。

それでも音楽やりたくて同じアパートの部屋に住んでる人がベース持ってたので、再びギター再開しました。今度は前回の反省を活かして「前よりもマシなアンプを」と思ってROLANDのCUBEのちっちゃいやつ買いました。ジャズコーラス (JC-120) をモデリングしたモードでディレイとコーラスを強めにかけた音がキラキラしてて気に入りました。あとはLINE6のPODなんとかっていう赤い筐体で色んな音色出るやつも買ったけど楽器関係の機械音痴なので使い方わからないまま放置しました……。そしてまたしても引っ越しの時に楽器みんな手放しちゃいました。

それで時は飛んで2019年、日本の天皇がギブアップして元号が平成から令和に移り変わりそうな雰囲気の中、また音楽やりたくなってギター買いました。ついでにベースも。エフェクターとかアンプどれがいいかわかんないからとりあえず思いきってKemper買いました。Kemperはプロも使うような25万を超える高価なアンプシミュレーターです。高価な機材をあらかじめ買うことで、やめる言い訳を機材のせいにして諦めるという道を塞ぐという意味もあります。相変わらず下手だけどとりあえず続いています。今は仕事と研究で無理して体壊して腰痛が酷くて弾く頻度下がってますが……。でもとりあえず音楽やりたいです。別にヴィジュアル系じゃなくてもいいから。パンクでもいいし弾き語りでもいいから。アイドルでもいいから。 (それはさすがに無理がある) 年に一回やる程度のゆるい感じでいいから。とにかく音楽やりたいです。

音楽と人間関係以外のものをみんな初期化した

一番死んでほしくない人 (文有希さん) は死んじゃったのに、一番死んでほしいくそみたいな自分は何度も何度も自殺しようとしても未遂で終わってしまってとても苦しかったです。そんな自分自身がとにかく嫌いで嫌いで仕方なかったです。

それで鬱病になっちゃいました。

その後色々あって音楽と人間関係以外のものみんな初期化しちゃいました。過去の自分を殺めました。麗音のファンにこんな子いたっけ?って思われるレベルの変わりっぷりです。詳しく書くと多分みんな引いちゃうと思うので、とりあえず「タトゥーを刻む以上に気合の入ったことをした」とだけ書きます。 (限界バンギャの暴走) そうして昔の自分じゃない自分になったらなんだか少し楽になりました。

中原中也の春日狂想を読んだ

とても素晴らしい詩なので、一部だけ勝手に転載させてください。

愛するものが死んだ時には、
自殺しなけあなりません。

愛するものが死んだ時には、
それより他に、方法がない。

けれどもそれでも、業 (ごう) (?) が深くて、
なほもながらふことともなつたら、

奉仕の気持に、なることなんです。
奉仕の気持に、なることなんです。

愛するものは、死んだのですから、
たしかにそれは、死んだのですから、

もはやどうにも、ならぬのですから、
そのもののために、そのもののために、

奉仕の気持に、ならなけあならない。
奉仕の気持に、ならなけあならない。

この詩を読んで、考え方が少し前向きになりました。とにかく奉仕の気持ちになろうと思いました。この詩には続きがあるので興味のある方はぜひ全部読んでください。

この記事を読んで麗音の曲を聴いてみたいと思った方へ

YouTubeで麗音と検索してください。群馬バンドじゃない方の麗音も出てきますが、それは仕方のないことです。

それと文有希さんの「低い声でビブラートかけて歌う」スタイルは賛否両論あることをご承知の上で再生してください。もちろん、わたしは大好きですが。

麗音の曲については好きすぎてうまく言語化出来ないししたくないので、わたしからはうまく言えません。vk.gyというサイトによると、"oldschool" で "kote" だそうです。また、"コテ系を和風な雰囲気で昇華させた" バンドと表現なされた方もいます。

どの曲も好きなので「これを聴いてほしい」と絞るのはとても難しいので、能書タレル前に聞け!! (それは別のバンド) と言いたいところですが、あえて挙げるとすれば以下の通りです。

A面っぽいメロディアスな曲を聴きたい方へ

www.youtube.com

B面っぽい激しい曲が好きな方へ

www.youtube.com

妖艶に触れた旋律を聴きたい方へ

www.youtube.com

悲しい曲を聴きたい人へ

www.youtube.com

解散告知直後の悲しい雰囲気の中で演奏された切ない曲を聴きたい方へ

www.youtube.com 注意: テレコで撮ったので音質悪いです。

ちなみにこの「less」という曲は、文有希さんの友達がバイク事故で亡くなったことを詩にした曲です。

余談

わたしも麗音の曲をいくつかアップロードしました。とりあえず入手困難そうなものを中心に選びました。テレコで録ったLIVE音源はイコライジングがんばって出来る限り雑音を小さくするよう努力しましたが、それでも音が割れてたりして聴くのしんどいかもしれないです。特に「浮生麗終」はLIVEで暴れてなんぼの曲なので、映像なしに聴くのはしんどいかと思います。これは選曲ミスったかなとちょっと思ってます。というわけでテレコ音源は一般向けでなく、あくまでも麗音の思い出を懐かしみたい人向けのものだと思ってください。

LAST LIVEの動画も元はベースの音が大きくて聴きにくいかなと思って少しイコライジングしました。

その後の麗音

正直に言うと、わたしは麗音から逃げちゃったりしたので文有希さんが亡くなってからはあまり真面目に追ってません……。友達からも連絡途絶えたし……。なので、vk.gyというサイトを見てください。

ここに書かれてない情報としては、十夢 (兎夢) さんがノエさんというアーティストのサポートドラムをやっていました。あとはアンティキティラ (Antikytheraで合ってますか?) というバンド?ユニット?でもサポートドラムやっていました。

あと2009年3月12日に高崎 clubFLEEZにて佳樹さんたちが群馬自演乙οというセッションバンドで麗音の曲を演ったそうです。メンバーはVo: k-ju[L-seven] / Gu: 泰蔵 / Gu: 流美亜 / Ba: 阿紀 / Dr: tom[L-seven]です。これはすごく行きたかった……。公演が終了してからその情報を知りました……。もっと宣伝がんばってほしかったです……。わたしも宣伝に全力で協力するので……。

本編終了

というわけで群馬に麗音というバンドがいて、そのバンドのことを不器用なりに思い続けてる人がいる (逃げてた時期もあるけど) というお話でした。とりあえずそれだけ伝わればいいです。

とはいえ今でも麗音欠乏症なので、もうあのメンバーじゃないとやだとか我儘言わないから、セッションバンドでも全然知らない人のコピバンでもいいから、ライブハウスで麗音の曲を聴きたいなとは思ってます。完全にネタ切れの限界バンギャ状態ですね……。

どうでもいい話ですがわたしは今、研究の傍らでスマートフォン用のキーボードアプリを作っています。もし「麗音」「文有希」「瞬時」「美章」「HIROKAZU」「十夢」が変換出来る (変換候補の順番がだいぶ後ろになっちゃうのもあるけど) キーボードアプリを見つけたら、「この人がこれを作ってるんだ」と心の中でくすりと笑ってください。ここで直接アプリの宣伝をしたくないので、アプリの名前は書きません。麗音でお金を得たくないし、むしろお金払いたいくらいなので。ただ、麗音への愛を込めた証を自慢したいだけです。相変わらず中学生みたいなことしてるんです笑

それで、この麗音 (RAIN) に対する思い出の文を書いている現時点 (2020年1月7日) では、雨が降っています。ただの偶然かもしれないけど、やっぱり運命感じちゃいますね。天はちゃんと見てるんだなって。

麗音の皆様へ

麗音と出会ってからの20年、あっという間に過ぎ去ったけど、1月7日のことは昨日のように思えます。5月8日のことは未だに思い出せませんが。ですが麗音と出会ってない人生なんて全く想像できないくらい、麗音はわたしの人生を変えてくれました。あの時の中学生が、今ではアラサーになってます。それで高校の数学で赤点取って補習受けた帰りに「to SILENCE」を買ったわたしが、なぜか大学院まで進学して修士号取って今は人工知能の研究で博士号取ろうとしてます。論文の数式をじっとにらめっこしてなんとか理解しようとしたり、テンソルの計算したりとなんだかわけわかんない人生を送ってます。1月7日に降った雪はまだ溶けてないけど、それも今は前向きに捉えてるし、なんとか現状の世界を受け入れる余裕が出来ました。一番の居場所はやっぱり麗音だけど、第二の居場所、第三の居場所、...、第∞の居場所でも、まあいいかなと思えるようになりました。なんとか乗り越えました。わたしは成長しました。「less」のデモテープには "離別… ソレハ肉体ノ一部ヲ削リ取ラレルイタミ ヤガテ訪レル '悲シミ' ハ ソノイタミヲ取リ除ク薬… 「'悲シミ'ヲ取リ除ク薬ハドコニアルノ?」 時ノ経過ニ肉体ノ回復ヲ委ネル… 追憶ヲ求メズ忘却スル イツシカ遠イ記憶ヘ…" と書かれてありましたが、確かに忘れちゃったこととかありますけど、それでも記憶を完全に封印せずにこうして記録を残しています。業を背負う覚悟は出来ています。

色んなことあったけど人生で一番楽しい瞬間、居心地のいい居場所、素敵な友達を与えてくれたことを海より深く感謝しています。一つになって麗音の空間を作ることに少しだけでも貢献出来たことを誇りに思っています。人から「一番好きなバンドは?」って聞かれた時に「れ、」まで言いかけて「さすがに麗音は通じないかな……」って思ってメジャーなバンドの名前を言っちゃうけど、本当は心の中では「麗音」って言いたい気持ちで溢れてます。ぐだぐだでだらしないわたしに決してぶれない一つの軸を与えてくれたことを感謝しています。あるはずのない永遠はわたしの心にはあります。本当にありがとうございます。わたしはずっと麗音を愛してます。

麗音のファンの皆様へ

人見知りが激しいので直接話したことある方はとても少ないですが、感謝しています。一緒に盛り上がったり悲しんだりしながら麗音の空間を作ってくれたことが嬉しいし、ただ麗音が好きな人が存在するってだけでも心強くなれました。もしあなた方がいなかったら、わたしが出会う前に麗音が消えてたかもしれないし、とにかく麗音を応援して支えてくれたことに感謝しています。

ただ、一つだけ心残りがあります。CRESCENTのファンの皆様みたいに "毎年1月7日になったらあの歩道橋に集まろう" みたいな約束が出来なかったことです。いや、もしかしたらわたしが知らないだけで、そういうの行われているのでしょうか?もしそうだったら、わたしも混ぜてください。

佳樹さんへ

麗音解散後の文有希さんを支えていただいたり、麗音の最後の曲「RAIN ~麗しい音~」を完成させていただいたり本当に色々ありがとうございます。

龍夜さんへ

なんだかんでわたしは龍夜さんで群馬バンドを知って、麗音に出会うことができました。なのでとても感慨深く思っています。当時の群馬バンドを率いてくれてとても感謝しています。

わたしもおはるさんの2020年6月22, 23, 24, 25日 2021年1月の高崎clubFLEEZ公演に行きます。clubFLEEZが高崎に移ってから一度も行ってないのでそれも少し楽しみです。有給休暇使ってでも行きます。よろしくお願い致します。

これを読んでる家族へ

もしも、わたしに万が一のことがあったら麗音に関するものは麗音のことが好きな人に渡してください。あと仏壇には麗音が5人で写ってる写真を飾ってくれると嬉しいです。

追伸1: バンギャのみなさんに伝えたいこと

どうしても悔いは残るから何かも抱きしめましょう

「ゴッホみたいに死後に評価されたい」と自ら望んでいるアーティストなんて誰もいません。死後や解散後に評価されるよりも現役でやってるときに評価される方が嬉しいに決まっています。だから人生で一番楽しいと思ったバンドがいたら、少しくらい無理をしてでも多くLIVE行ったり物販買った方が悔いが少なくなります。いわゆる「推しがいるうちに推せ」ってやつですね。でも実際問題、何をやっても悔いは残ります。人間の行動に100%はありませんから。

じゃあ、「これが最後のライブしれない」と毎回覚悟しながらライブ行けって?そんなの全然楽しくないから無理です。

それでは、どうすればいいか。諸行無常、全てを受け入れて抱きしめるしかないんです。もちろん受け入れ難いことだけど、それでも認める方向に意識を持っていくしかないんです。結局それこそが死者への最大の敬意です。あの世で「自分のせいで人が苦しんでる」なんて思われたらバツが悪いじゃないですか。前へ、未来へ向かっていくよう意識するしかないんです。たとえそれがつらくても。

マイナーなバンドが本気で好きな方へ

なるべく友達を多く作りましょう。すごい有名なバンドなら共感して痛みを分かち合えるファンの方見つけやすいと思いますが、デモテープしか出してないようなバンドを一番好きになってしまった場合、バンドが解散してから同じ気持ちを共有出来る方を見つけるのは非情に困難です。今いるお友達もいつか他のバンドに流れてしまう可能性があります。なので、数打てば当たる戦法でなるべく多くお友達を作りましょう。あ、今はデモテープ出すバンドいないですね。emmuréeが2015年に配布したくらい?

好きなものを増やしましょう

わたしのように一つのことだけに夢中になると、過度に依存してしまう可能性があります。依存はうまくいっている内は良いのですが、それがなくなるとなんにもなくなっちゃいます。なんにもないと、とてもつらい思いをします。下手すると、わたしのように何年も苦しみます。なのでバンドでもゲームでもアニメでも本当になんでもいいので、なるべく好きなものや趣味を多く持ちましょう。すごく好きというほどでもないものでも臆することなく色んなところに小指の爪先だけでもいいのでつっこんでみましょう。「こっちがダメならあっちに行こう」みたいな選択肢が多い方が人生は楽しいです。冷たい言い方をするとリスク分散というやつです。視野の狭いわたしをぜひ反面教師としてください。

最愛の方を亡くしてつらい思いをしている方へ

宝くじの1等賞が当たればいいなくらいの適当な期待でいいので、ダメ元でいいので、ためしに中原中也の「春日狂想」を何度も読んでみてください。わたしはその詩のおかげでほんの少しだけ前向きになりました。あくまでも個人の体験に過ぎないのですが、少しでも力になれれば……と。

あと中途半端な自傷行為は何もいいことないのでしない方がいいです。中途半端に生き残ると最悪の場合、一生植物人間状態になる可能性もあるので。そうでなくても後遺症が残ったり、深いリストカットの痕は10年以上経っても完治しなかったりするので。わたしも一番死んでほしくない人を亡くしたことがあるので気持ちは少しわかりますが、なんとか。

追伸2: 情報提供のお願い

「あれが足りない」とか「情報間違ってる」「音源とかグッズ持ってる」とか何らかの麗音の情報を持っている方は、この麗音の新参ファンの若造にぜひご連絡ください。私自身嬉しいし、他の麗音ファンの方にも共有したいです。文有希さん死去という人生でこれ以上にない最も最悪な体験をしたので、どんな情報でも耐えられると思います。多分。写真は原寸大が一番嬉しいですが、小さくても構いません。人工知能の超解像画像処理 (画質をなるべく損なわないで画像を大きくする処理) で少しは大きくできるかもしれないので。連絡先はeternalseason@hotmail.comです。

追伸3: なぜか海外の方が麗音の曲をYouTubeにアップロードしている件について

はい。根本的な原因は多分わたしです。2000年代前半にWinMXというユーザー間でファイルを共有するWindowsアプリが流行っていました。そこで少しでも麗音の良さを知ってもらいたい思いの一心で、麗音のデモテープ音源をパソコンに取り込んでmp3ファイルに変換して公開していました。 (限界バンギャの暴走) 中でも熱心にヴィジュアル系の曲を集めているロシアの方がいて、その人に麗音の曲を渡しました。多分その人経由で色んな方が麗音のmp3を持っているのだと思います。

個人的には「麗音の曲はアップロードする価値がある」と判断されたという事実が嬉しいです。あと麗音の音源を色々な事情で手放してしまった方々に、結果的に再び麗音の曲を聴く機会を与えてくださっているのも嬉しいです。

追伸4: 愛を感じないケチな音源収集家について

わたしは麗音後期からの新参ファンなので「群馬革命」以前のデモテープの実物を持っていません。当然オムニバスビデオテープも持ってません。「群馬革命」のデモテープはたまたまヤフオクで安価で買えました。

もう5年位前のことでしょうか、Twitterで麗音のデモテープ「妖艶」を自慢している方 (今見たらそのアカウント消えてました) を見つけたので、恥も外聞も捨てて「わたしは麗音のファンサイトをやっています。ダビングでも構わないので聴きたいです」みたいな懇願をしました。断られました。「新卒の月給くらいで買ったんですよ」まんまとボッタクリ価格で買ったのですね。ご愁傷さまです。「ダビングするとテープが傷むから」たかが1回再生したくらいで傷むってどんなポンコツカセットプレーヤーを持っているんですか?そもそも中古で購入した時点で傷んでいるのではないですか?「電子ファイル化したいけど業者は信用出来ない」先程カセットの傷みを気にする旨を仰ったということはカセットでは再生していないということですよね。その上にさらに電子ファイル化もしてないって、それは実質聴いてないってことですよね?宝の持ち腐れではないですか?などなど……。

もううんざりしました。収集欲のためだけに聴きもしない人が独占していて、本当に聴きたい人が聴けないという状況に。

追伸5: 麗音のフライヤー

今わたしの手元に折り目等のない当時のままの綺麗な状態の麗音のフライヤー (絹蜘デモ発売の告知と解散LIVEの告知) が、それぞれたったの3枚ですがそれぞれあります。実物が欲しい方はeternalseason@hotmail.comまでご連絡下さい。件名は「麗音のフライヤー」でお願い致します。もしも転売されたら悲しいしメールのスパムフィルターに引っかかって迷惑メールフォルダに入れられたら見落としてしまうので、本文に「麗音に対するあなたの気持ち」と「ご希望の宛先」を書いて下さい。本名を知られたくない方は、宛名を群馬県XX市XX 1-1-1 佐藤様方 [LIVEネーム/偽名] 宛みたいな感じで書いて下さい。住所も本名も知られたくない方は、画像ファイルで我慢してください。ごめんなさい……。

受け取り確認の連絡だけは絶対にお願い致します。わたしはあまり個人情報を扱いたくないので、ご希望がなければ到着を確認次第あなたのメールを破棄します。

この人なら大事にしてくれそうと思った人だけに送ります。クリアファイルに入れて送ります。

追伸6: 麗音のフライヤーやデモテープのコピー品を販売する方へ

コピー品をコピー品と明記せずに売るのは本当にやめてください。日本では不正競争防止法という法律があり、コピー品と明記せずに販売する行為はその法律に違反しています。つまり犯罪です。今からでも遅くないので、しょぼい端金を得るために違法行為を行うことがいかにつまらないことか理解して下さい。あなたの良心に訴えています。

最後の追伸

このものすごく長い記事をここまで読んでくださったあなたは、もう充分に麗音のファンだとわたしは思います。

本当はYouTubeに麗音の曲全部アップロードしたいところですが、残念ながらこの世界の殆どは第一印象で決まってしまいます。麗音のこと全然知らない人がたまたま古い音源を聴いて、その第一印象でけで全部を評価してしまうことは望んでいません。それに聴きたい人だけが聴ければいいと思っているので。

とはいえ、ケチな音源収集家とかボッタクリみたいな値段で麗音の音源を売っている人を許せません。気持ちはわからなくもないけど、やっぱり許せないです。たまたま、わたしは数少ない人しか持っていない音源を持っているので、麗音のことが大好きで「この人なら大切にしてくれそうだな」って思わさせるような人から連絡が来ると、ちょっと時間がかかってしまうと思うけど何かいいことあるかも? (?)

eternalseason@hotmail.com

SPECIAL THANKS

気持ちばっかり先走ってる新参のわたしに麗音の情報を提供してくださった方々、姉、母、前橋clubFLEEZ (高崎clubFLEEZ)、前橋RATTAN、おはるさん、麗音と交流のあったバンドの方々、麗音のファンの皆様、そして麗音の皆様