麗音の "su・i・cide" はなんで "su・i・cide" ???
おはようございます。
麗音の話をしたくなったので久しぶりにブログを書きます。
麗音には su・i・cide
という曲があります。もちろん英単語 suicide
を示していて スーサイド
と読み、自殺をテーマにした曲です。では、なぜ普通に suicide
ではなく、間に点を挟んだ su・i・cide
なのでしょうか?
元々suicide
という英単語は sui
と cide
から成り立つ単語です。
先にcide
の部分から説明すると、genocide
(虐殺) や pesticide
(殺虫剤) のように cide
は 殺す
という意味が含まれている接尾辞です。そして sui
は、自分
を表す語根です。なので、それらをくっつけると"自殺"になります。"自殺"という行為は、自分の考えてることや感じてることなどをこの世で最も向き合っている人物である自分の手によって自分自身を殺すという、自分の人生において最も大きな覚悟がいる最重要行為です。自分の命が終わってしまえばそれ以降の自分の人生は無になるのだから、他人が何人死んだとかそういう数の問題ではない唯一無二の問題なのです。なので、sui
の i
を I
(自分を表す代名詞) としてさらに切り出すことで "自分" という意味を強調するために su・i・cide
と区切ったのではないでしょうか?
という仮説でした。あくまでも糞バンギャであるわたしの仮説にすぎないので絶対的な答えではないです。でも単語に点を付け足すだけで何かを表現出来るのだとしたら、それはとても面白いことだと思います。
ついでというかこの機会にしか話すことないので、麗音の su・i・cide
にまつわる他の話を。
麗音の su・i・cide
は、正式にリリースされた音源ではデモテープ「妖艶」とデモテープ「永遠」に収録されています。最初に録音されたのが「妖艶」版で、後に再録したものが「永遠」版です。つまりどちらも別のテイクです。もちろん後に録音された「永遠」に収録のバージョンの方が色んな面で好きです。両方とも歌詞は同じだし構成も大体同じなのですが、「永遠」版はこなれてる感があります。具体的にいうと、リズムがしゃきっとしてるし2人のギターの存在感のバランスも良くなってるし文有希の声が色っぽい (ここ超大事)。 音楽は感性だっていつも思ってるけど、これに関しては多くの人が共感するかなと思います。つまり録り直してくれて嬉しく思ってます。
あと個人的なことだけど、デモテープ「永遠」はdejavuってオジタスで録音したのも嬉しいんです。dejavuは実家と同じ町内にあるスタジオ兼ライブハウスで数km以内の近い距離にあるんです。くっそだるくてつまんないくだらない不良中学生活送ってる間に近くで麗音がレコーディングしてたって事実を想像するだけで胸が熱くなります。スタジオなんてなかなかないくそ田舎なので、感動はなおさらひとしおです。それにわたしは聖地巡礼的なものが好きで、渋谷に住んでた頃に三軒茶屋まで散歩してkivori studioを見つけた時は「MUNIMUNIのCDレコーディングしたところだ!」って嬉しくなったりしました。あとはレコーディングスタジオじゃないけど、BUCK-TICKの原点である今井商店にもいつか行ってみたいなって考えてます。
それでは無音の静寂の中で……
オヤスミナサイ